シンサイニオモウアレコレ

twitterにポストしたブログ記事をつぶやくことにしたからがんばって書くわ。

震災後に心情が変わってこれはブログで残しておこうと思ったのに結局何も書かずじまい。
文字に残すのがなんか難しくてね。そのうち忘れちゃってね。

時系列で書いていくと震災前はY嬢のクリエーション真っ只中でね。
映像もあったから撮影&リハでてんてこまいだったわけだ。
ちょうど震災が起きた週がピークでね。
これもあれも詰め詰めでやらなくちゃってなってて。
震災前日も撮影してて。
来週がんばんなくちゃなーってなっててね。

…長くなりそうだから続き読むにしとくか。




んで震災後。
ちょうど震災翌日かな、リハだか撮影だかがあったんだけど、さすがに交通機関が云々だったためキャンセルしたんだよね。
んで数日後リスケするのに再度Y嬢と話し合って。
でも公演自体があるかわからんかったから様子見の毎日が続いてて。
tomoQの実家がモロ被災してたからってのもあって。
北海道の母はフランスの妹の電話で放射能の恐怖に陥ってて北海道に逃げてこいって要請あったり。
こりゃぁ踊ってる場合じゃねーだろってね。

でも。地震が起こった時にまず第一に考えたことは「リハどうしよ」だったわけで。
あんな状況下で生への欲求がダンスだったわけで。
率直にtomoQに話したら「この状況でも納得できる作品が作れるならやるべき」と助言いただき。
ありがたい言葉だった。ありがたすぎるよ。できた夫だよ。
んでY嬢と涙の決行宣言があり。
再度リスケして公演に望んだわけです。

でも結果がんばって公演までできて良かったと思う。
作品自体も結構自分の裁量的にギリギリな感じだったけど、素敵なものにY嬢が仕上げてくれたし。
何よりダンスをするスタンスが変わったよね。
日本でダンスをするって、別にお金がもらえるわけでもないしさ。
趣味の延長線上なモチベーションなわけで。結局ね。なんだかんだいってもね。
でもお金がもらえないからプロなわけじゃない。
お金を払って見に来る人がいる以上プロなわけですよ。
あんな状況下でもお金を握りしめてわざわざ交通機関のストレスをくぐりぬけて見に来てくれるわけです。
それにさ、誰もが舞台に立てるわけじゃない。
あんな状況下でも発表する場を与えられてるわけですよ。
これって実はすげぇことなんじゃないかと。
この気持ち無駄にできませんよね。ええ、できませんってね。

前からお客様のこと考えてやってはいたけどさ。
でもあの後やっぱ気の持ち方変わったよなぁ。
変わったよ。うん。

今思い返すとあの公演は生涯忘れられそうにもない出来事となり、自分のダンス人生に大きな影響を与えました。
私をサポートしてくれているすべての人に日々感謝です。

クソばばぁになったらさ、この記憶を後世に伝えたいと思うわけです。
だからここに書いておくわけです。
何を思ったかをね。そして何が変わったかをね。

まだまだ震災の被害は終わってないし、世の中は全然変わっちゃいないが復興に向けてやれることをコツコツやります。
コツコツね。ほんとコツコツね。これ大事ね。

2 コメント:

mar さんのコメント...

tomoQ君、ほんとにできた人だわ。
そして皆さんのプロ意識も素晴らしいよ。なんかほんとすげぇ。
震災直後のわーわーなってる時より無職になった最近の方がなんだかぐるぐる落ちちゃってんだけどさ、どうにかしなきゃってちょっと思った。

c-tang さんのコメント...

私もつい最近までニートに限りなく近かったからさ(なんつーの有給ニート的な)わかるよ、気持ち。何もせずにテレビの前で震災の悲惨さとか自動的に訴えられてるとさ、おかしくなってくるんだよね。なんだかね。